ひとの本質は、そうそう変わらない。
最近つくづく思うことです。
大学時代からの友C子もそのひとり。
大学時代からの友C子もそのひとり。
若い頃から聡明で、勘がよく
自分をしっかりもっているけれど
それをひとに押し付けることはしない。
彼女のお父さんが亡くなった時
私には涙を見せることなく
淡々と、気丈にふるまっていたけれど
お父さんが溺愛していた犬が
後を追うように逝った時はじめて
「チロが死んだ…」と
電話口でせきを切ったように泣きました。
それがC子というひと。
あれから30年近く経った今も変わらない。
年をとると何かにつけ、われ先になりがちだけれど
彼女にはそれがない。
自分を犠牲にするでもなく、押しころすでもなく。
相手にそっとよりそう。
そんな友をみていると
「豊か」ということについて思いを馳せます。
彼女は私に、豊かに生きるということについての
ひとつの形をみせてくれます。
そんな友は今、糠漬け教室にいっていると
楽しそうに報告してくれます。
つがね食堂 ママン
自分をしっかりもっているけれど
それをひとに押し付けることはしない。
彼女のお父さんが亡くなった時
私には涙を見せることなく
淡々と、気丈にふるまっていたけれど
お父さんが溺愛していた犬が
後を追うように逝った時はじめて
「チロが死んだ…」と
電話口でせきを切ったように泣きました。
それがC子というひと。
あれから30年近く経った今も変わらない。
年をとると何かにつけ、われ先になりがちだけれど
彼女にはそれがない。
自分を犠牲にするでもなく、押しころすでもなく。
相手にそっとよりそう。
そんな友をみていると
「豊か」ということについて思いを馳せます。
彼女は私に、豊かに生きるということについての
ひとつの形をみせてくれます。
そんな友は今、糠漬け教室にいっていると
楽しそうに報告してくれます。
つがね食堂 ママン